旅女な歴女

ゆるめの歴女が旅して本読んで...

拝啓、レオナルド・ダ・ヴィンチ様 ー 万能すぎる天才ぶり

生家のアンキアーノを後にし、元来た道でヴィンチ村へ。
 

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ヴィンチ村にはレオナルドが洗礼を受けた「サンタ・クローチェ教会」と「レオナルド博物館」が2つあります笑
 
2つのレオナルド博物館では、レオナルドのデッサンや、そのデッサンを元に復元された数々の発明品が展示されています。
 
レオナルドが解剖した人体図、筋肉のデッサン、内臓のデッサンや立体模型も展示されていますが...彼は人間の頭部も研究しています。
 
絞首刑にされた死体をスケッチして人々を驚かせたとのことですが、「人体」というものに今までの人とは違う形で興味を持ったということですね。
彼は妊婦の死体も解剖して、妊娠のメカニズムも研究したとか…
 
実際には使用されることはなかったけれど、戦車や一度に何発も打てる大砲の復元模型も展示されています。
 
当時のイタリア半島の情勢を考えると、軍事にも関心を持つのは自然なことだったのかもしれません。
 
彼は鳥類も研究していたので「飛行」というメカニズムにも関心を持っていました。飛行機のデッサンも残っていました。
 
そしてびっくりしたのはコレ…
 

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一瞬黒死病の時のマスクかと思いました笑
よく見たらスキューバダイビング用のスーツでした笑笑
 
もしもこれが実用化されて、何も知らず海に行って、目の前にこれを着用した人が現れたらめっちゃびっくりするだろうな笑
 
「レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画に限らず色々なものを発明した」というのは皆承知の事実かと思いますが、実際に立体模型として復元するとよくここまで考えられたな...と改めて感心してしまいます...
 
外にはレオナルドの有名なデッサン、「ウィトルウィウス的人体図」の模型もあります。
(デッサンの方がいいな...笑)
 

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そしてサンタ・クローチェ教会へ。
 

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これがレオナルドが洗礼を受けた洗礼堂。
 

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教会はたまたま誰もいなかったのですが、まさに内部は「無音」。
 

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よく漫画で沈黙を「シーーーーーン」と描写するがありますが本当にそんな感じでした。あまりに音がしないので、一通り見たら怖くなって出てしまいました(チキン)
 
ヴィンチ村は小高い丘の上に作られたとみられる村なので、小さい空間の中にアップダウンがたくさんあります。(ブラタモリして欲しい)
 

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歩きやすい靴履いてて良かった...
 
レオナルド博物館はちょうど中学生くらいの子達が社会科見学中でした。
 
あぁ、イタリア語がわかったらきっとこの解説も面白いんだろうなぁと横目で見つつ、レオナルドの生まれ故郷で、彼のことを学ぶことができることがどれほど凄いことか、大人になったらわかるよ…と心底羨ましくも思いました。
 
それにしても絵画だけでなく、土木技術者、都市計画者、建築家としての才能にも恵まれたとか…
 
万能すぎますね笑
 
レオナルドは生涯の中で以下のビッグプロジェクトに加わっていたそうです。
 
1487年頃(35歳)運河を中心とするミラノの都市整備計画
1494年頃(42歳)ミラノの「マルテザーナ運河」工事の設計監督
1503年頃(51歳)建築技術監督としてアルノ川水路開削計画
1509年頃(57歳)上記開削工事の設計監督として従事
1516年頃(64歳)フランスのアンボワーズにてシェル川の一大水利事業計画を立案
 
実現はしなかったけれど、「彼が計画した」ミラノを見てみたかったです。
 
1484年から翌年にかけて、ミラノにペスト(黒死病)が流行し5万人が亡くなりました。当時レオナルドはミラノのスフォルツァ家に仕えていました。
 
自分が住んでいる街の惨状を目の当たりにし、人々が一箇所に密集して住むのは不衛生だとし、分散させて住むような都市計画を立てていました。
 
長尾重武著「建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ-ルネサンス期の理想都市像(1994年)」の中では、
 
「中央に大きな広場があり、回廊が巡らされている。それを中心に道路、運河が対象的に配されている」
「道路の幅は家の一般的な高さと同じに」
「風、光、清潔さが行き渡ることを保証」
 
と、記載があります。
 
伝染病の蔓延を防ぐには風通しの良さ、太陽の光が入ることが重要であることをもうわかっていたのですね…
 
レオナルドの多方面にわたる類い稀な才能は、時の「天才策士:チェーザレ・ボルジア」の目にも止まりました。
 
レオナルドは1502年から約8ヶ月間、建築技術監督兼軍事顧問として、チェーザレの軍と共に行動しました。
 
チェーザレが1502年にレオナルド・ダ・ヴィンチのために発行した、領有国内の自由通行を許可した証明書の中には、
 
「親愛なる、そして優秀な建築家であり、軍事技術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチに〜」
 
と書かれていました。
 
「君主論」を残したマキャベリにも愛されたチェーザレ・ボルジアにここまで言わせるなんて、才能豊かだっただけでなく、人間的にも魅力的な人だったんでしょうね…
 
ああ、やっぱり会ってみたいなぁ...